お茶をのみに来てください♫

子どもの育ちにそって大人と子どもが一緒にあそべる「わらべうた」の世界。保育や子育て支援の現場でわらべうたをしてきた「ゆずりはわらべうたインストラクター」の仲間たちが、日々思うこと、活動報告、あそびのアイデアなどを綴ります。

何をどう捉えなおしていくのか?

緊急事態宣言が解除されて、

通勤電車も繁華街もにぎわい始めたとのことです。

 

いくつかのニュースの中で

「この3か月の学校の遅れを…」ということばに、

引っ掛かりを感じています。

 

この3か月をただの「遅れ」ととらえるよりも、

滅多にないこの時間から何を学び、

未来につなげていくかの視点が

大切なのではないかと思うからです。

 

今回、

私に全く意識がなかったことに気づかされたのは、

世界的規模のウィルス感染は

今回が初めてではないという事実です。

 

「のど元過ぎれば熱さ忘れる」のことば通り、

完全に他人事だったと気づいた自分の姿から、

「歴史に学ぶことの大切さ」

を改めて実感しています。

 

そんな中、フランスに住んでいる友人が

以前寄せてくれた記事を思い出しました。

 

フランスの中学校(日本での高校)における

歴史教育のレポートで、歴史の教え方が

日本とフランスでは全く違うという内容でした。

 

学年初めにあった、歴史の教師から親への説明では

 

「今年(最終学年)はいよいよ『現代』を学びます。

…教師の目標は

第一次世界大戦から今現在の世界の状況まで』

を生徒たちに認識させるものです。

『今現在』というとき、厳密には、

イラクでの人質事件のことまで、

私たちは取り上げなければならないことになっています。

…(2005年)」

 

と。

 

そして授業は

 

「…まず、授業の前半30分弱は、教師が話をする。

その際、教科書の写真や資料や地図を参照する。

この教科書というのは、日本で言ったら、

まるで図鑑のようなもので、記述文はほとんどない。

もちろん、生徒たちは、質問したり、

あるいは教師から意見を求められたりする。

そして後半20分は話し合いの中で重要であったと思われる点を

教師と生徒が確認し合い、

それを生徒たちはノートに書きとる、

という具合である。

当然、テスト内容も日本とは違う。

ナチズムの授業の後のテスト問題には、

アウシュビッツ収容所の見取り図があり、

「…いかに合理的に囚人たちが選別され、

この惨劇が、なぜ『人類に対する犯罪』と定義されるのか、

その理由を証明せよ」となっている。

考えることができる生徒は「優秀な生徒」という評価だ」

 

と。

 

歴史を学ぶとは、事実をただ暗記することではなく、

「そこから未来につながる価値や課題を学び取り、

 次に活かしていくこと」

なのではないかと思わされます。

 

今、プログラミングや英語などの「ツール」に特化した

早期スキル教育が盛んです。

でも、そのような「ツール」を使いこなすためにも、

その前に目の前の出来事について、自分の頭で考え、

周りの人と対話をしながらアイディアを共有し、

そこから価値や課題を学び取るプロセスが欠かせません。

自分で考えて意見を述べる、他人の意見を聴く、

また考えてお互いに意見を交換しながら内容を詰めていく…

そんな有意義な練習ができるのは、

現在起きている事柄、またこれまでの事実から

学び合うことなのではないでしょうか。

 

私の経験だと、歴史の授業で現在のことを

学んだ記憶はありません。

明治時代に入ったあたりで時間切れ!

現代に起こっていることに繋がる歴史は学ばなかった!

というのが実感です。

だからこそ、今、立ち止まってみたいと思うのです。

 

コロナの混乱に乗じてエゴに走る動きや

議事録を作っていないなど、

明らかに「学び」の姿勢に欠ける事実を見聞きしています。

 

今回の「普段できない時間を経験した3か月」をどう検証し、

一つの学びの実践と成しうるのかが問われています。

それが次へのステップとなることを願って。

 

もう一つ今まで私が意識できなかったこととして、

様々な職種の人々の苦労を報道によって知りました。

そして、ちょうど届いたホームレス支援の雑誌

「The  BIG  ISSUE」を見て、

 “ステイホーム”と毎日耳にしていたことばが

「“家なき人”にとっては残酷な言葉でした。」

とあり、様々な配慮がいかに必要かを実感しています。

 

そして今、私に具体的に課せられた課題は、

直接に口元を見せ、

触覚や表情を通して子どもにことばや人間関係を伝え、

育んできた『わらべうた』。

この『大密』でこそ有効なわらべうたを、

密を避けマスクをつけソーシャルディスタンスをとって、

といわれる時代に、どう伝えていかれるのか、

試行錯誤しなければということです。

 

わらべうたインストラクターが中心のこのブログが、

次のステップを工夫するみなさんの

意見交換の場となることを願っています。

                                 (2020.6.5)