松岡享子さんの訃報をお聞きして様々な本や絵本を思い出しました。
私は直接は存じ上げないのですがお話について考えていた時に偶然に見つけて読むことが出来、とても勉強になった講演会の記録であるレクチャー・ブックス1 お話について(東京子ども図書館)を読み返してみました。
私たちは「自分という物語を生きるために、自分以外の人の物語を必要としている。」と、あります。
特にこれから物語を紡いでいく子どもたちにとって物語は必要なのです。
一つは芸術的な物語。特定の作家によって書かれた物語と様々な語り手を通して伝えられるうちに洗練された昔話です。
そしてもう一つは実際にそこにいる家族や保育士、教師など身近な人の中に物語を感じることで子どもは学んでいる。
今、子どもたちが成長していく上で、周りの大人はどのような物語を語ってくれているだろうか。木村さんのおっしゃる通り、最近は理不尽な物語ばかりがニュースになっている。そして、そんな事件を誰でも見ることができる。見本となる大人がごまかしたり、間違えた時も謝ることをせずにいる。
子どもたちは「どんなこともやって許されるのだ。」と、いうようなことを学んでいるのではないかと心配になる。
子どもたちは「早く大きくなりたいなぁ」と、未来を楽しみにしているだろうか。
子どもたちが美しい日本語を使って考えられるようになっているだろうか。
本文から
・「お話」が子どものことばを育てる上で大事な働きをしていると思われるのは、ことばの中にある音楽を感じさせるといいますか、ことばの音としてのおもしろさを知らせるという点です。…中略…この時期こそ、わらべうたや詩と並んで韻律をもったことばによるお話をたくさん聞かせてやりたいですね。それは子どもの語感をみがきますし、母国語への愛情も育てます。
そしてそれを大好きな人から聴くから「楽しい」、「美しい」が心に刻まれていくのです。
・今では小さな子どもたちでも字を読むようになってきました。けれども…中略…子どもたちがコミュニケーションの基本的なかたち(目と目を合わせ声によってことばを伝えそれが通じた喜びの感情を体験すること)に充分習熟することなしに文字を身に着けてしまうことはよいことだとは思えないのです。
・…最初からマイクの声、機械の声を聞くということは私たちの感覚をどこか非常に貧しくすると思います。そして、コミュニケーションというものに対する私たちの信頼をどこかうつろなもの、ゆがんだものにすると思います。ですから、どうか子どもたちには肉声で物語を語ってやっていただきたいと思います。
・特に強調したいのは、今日の子どもをとりまく言語環境を考えた場合、もし私たちが意識的に、努力して、伝承的はわらべうた、昔話、また芸術的な創作活動である詩、物語に子どもたちを出会わせてやろうとしなかったら、おそらく子どもたちは、どこでもそういうものにふれる機会をもたないだろう。
小澤俊夫さんも仰っていましたが、わらべうたとお話の世界は本当に大事なところに共通点がある。
ただ読んでやればいい、遊んでやればいいというものではなく人と人の関係性が大事なのですね。
私はわらべうたも子どもの文学も大事だと思います。
保育士時代にも好きな詩や語呂合わせなど唱え、子どもたちと楽しみました。
できるだけお話も覚えて自分の語り口で語ることができたらどんなに良いだろうと思いましたが努力が足りず、なかなか覚えられずにいました。子どもたちが豊かな「自分という物語を生きるために」わらべうた遊びを伝えることと共に、少しでもお話を覚えて語ることができたらと思います。
この場をお借りして、
「松岡享子さん、素晴らしいお話をたくさん残し伝えてくださり有難うございました。」
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