お茶をのみに来てください♫

子どもの育ちにそって大人と子どもが一緒にあそべる「わらべうた」の世界。保育や子育て支援の現場でわらべうたをしてきた「ゆずりはわらべうたインストラクター」の仲間たちが、日々思うこと、活動報告、あそびのアイデアなどを綴ります。

オンライン懇談会

オンライン懇談会

 

3月4月とコロナウィルスの影響で保護者懇談会ができなかったことを受け、

私たちの保育園では、zoomを使いクラスごとにオンライン懇談会を行いました。

 

自粛期間中オンライン保育を行っていたこともあり、

保護者も私たちもzoomには慣れてきたところ。

大勢の保護者が参加してくださいました。

とはいえ、オンライン保育ではこちらからの配信のみだった為、

相互にコミュニケーションを取る懇談会は初めての試み。

実際に会わないでコミュニケーションがうまく取れるかと少し心配していました。

 

しかし、オンラインにはオンラインの良さもあるもので、

リアルでは保護者1名が参加のところ、

オンラインでは子どもと一緒の参加が可能に。

自己紹介も親子でしてくださいました。

中には家族全員で参加のご家庭も!

「○○の父です。母です。年長クラスにいる姉です!」

親子の顔も一致し、とても分かりやすい自己紹介となりました。

 

話し合いの最中には、子どもたちのお家ならではの自由な姿も垣間見え、

お気に入りの玩具を画面にかざす子、

場所の取り合いで兄弟げんかが始まってしまったり(笑)

なぜか画面の上をまたいでいる子がいたり…

とこちらも自然と笑顔になってしまう楽しい会となりました。

 

そして残り10分、というところでお話をまとめ、わらべうたの紹介へ。

 

1歳児クラスの子どもたちの大好きな【ちっちここへ】【ふくすけさん】

【いっぽんばしこちょこちょ】の3曲を紹介しました。

 

分割画面の小さい中での紹介でしたが、

お姉ちゃんも担任させていただいたSくんのお母さまが、

ちょうど真ん中の画面でしっかり歌って見本も見せて下さり、本当に助かりました。

 

最後には、くすぐられたFちゃんの大きな笑い声が響き、

とても楽しい雰囲気で終わることができました。

 

さて、後日。

いつものように足の指をつまんで遊ぶ【ふくすけさん】をしていたところ、

「てぇ(も)」と手を出し、

〝手の指でもやって″とのリクエストが何人もの子どもたちから出るようになりました。

不思議に思っていたのですが、あっ、と思い当たることが。

懇談会で私が「本当は足なのですが…」と説明しながら

手の指で見本を見せていたのです。

 

こちらもSくんのお母さまがしっかりSくんの足の指で見本を見せてくださったので、

正確に伝わっていると思うのですが、

見ていた子どもたちは〝そっか、手でもできるんだ!おもしろそう!″

と思ったようなのです。

今ではすっかり新しいバリエーションとして定着しています。

 

面白いことには敏感な子どもたち。

その観察力と行動力、探求心に驚かされた出来事でした。

 

最後に…録画した映像を確認すると自分の反省がたくさん。。

話す声が思った以上に低く、早口だったこと、声も小さいし、緊張からか表情も硬い!

 

自分ではもっと楽しそうにしていたつもりだったので、

大げさにに感じるくらいの笑顔で声も高めに話すと見た目にはちょうど良いのかな、

と感じました。

 

伝える面でも勉強になった懇談会でした。

 

(sayo‐A)

 

 

北原白秋について思う

北原白秋について思う

 

わらべうたに北原白秋の存在は欠かせない。と私は思っている。

 

白秋は、歌人としても有名で日本語に深く子どもの姿を歌に表現した。

言霊を大切にと、多くの書物の中で唱えている。

 

明治以降、唱歌というものが学校という場所で教え込まれ、

道徳の押しつけではないかと言ったのも白秋だったという。

歌のさきにある、根本的精神の放置、愛が普遍されないと嘆いたと知る。

 

いま私たちの手にしたわらべうたも、白秋の言うように、

根本的精神の放置があってはならないと思う。

 

江戸時代の寺子屋教育の方がずっと優れていたと書いている。

教え子の個々の素質、気性、能力を知り、

その子に合わせて小さな集団で教育はあるべきとは、

現代にも通じるのではないだろうか。

 

先日、戦後教育の話の中で、子どもを可愛がった時代は江戸時代。

そして明治から時代の流れの中で、

日本でも、この教えこみの教育ではなく、

子ども一人ひとりを可愛がり、

その子どもの育ちを大切にする事を述べたのがかの伊藤博文だったと聞いて

無知な私は驚いた。

 

長い歴史の中で過去にも同じ論争がなされたのに、

なかなか実現できなかった事が、また今日の課題として出てきている。

 

そんな事を、わらべうたを伝える中でいつも考えながら働きかけていきたいと思う。

 

 

(チョロ松) 

 

記憶の継承とは 

 毎年夏休みは日本へ帰国しているので、

ヒロシマナガサキ そして8月15日が近づくと、テレビの特集番組を見ています。

 

人々が重たい口を開き始め、

そして様々な極秘資料の紐がとかれ、

私たちの知らなかったことが戦後時を経て次第に明らかになってくることに、

いつも大きく胸を揺すぶられます。

 

しかし、この夏はコロナ禍のため、私は帰国を断念。

フランスで夏休みを過ごしています。

 

そんな中、日本ではなくとも、この夏ヨーロッパでは「歴史の記憶」をめぐって、

ひとつの動きが社会に起きています。

 

アメリカのミネソタ州で、

白人警察官に首を押さえつけられ黒人男性が死亡した事件が、

全米で大きな抗議デモとなり、

それを発端にパリでも6月中旬には15000人が参加する人種差別反対デモがありました。

 

同じ時期に、黒人やアラブ系の市民への警察官の暴力行為に声を上げる人々が増えていて、

6月以降フランス社会では

人種差別と警察権力の現状が大きな社会問題となっています。

そしてそれは、歴史を遡り、人々の目を西欧諸国の歴史の暗点に向けさせました。

 

奴隷貿易と植民地政策です。

その事実は歴史上どのように位置づけられているのか、

そしてその記憶は現代の社会にどのように継承されているのか。

あらたな問いかけを引き起こしました。

 

 « Déboulonnage » という言葉が、この夏SNSや各メディアで飛び交っています。

これは「人を地位・名声などから引きずり降ろす、人を失脚させる」という意味で、

国の歴史上の偉人となっている人物たちについて、

奴隷貿易や植民地政策の遂行における彼らの役割と利益を糾弾することです。

 

6月10日には、ブリュッセルの中央広場にあるレオポルド2世の銅像

ペンキでいたずら書きがされました。

彼は19世紀にアフリカのコンゴを植民地化したベルギー王で、

それによって膨大な個人資産を蓄えたとも言われています。

 

6月23日にはパリでも、

ルイ14世の下で経済大臣として奴隷貿易法を強化したコルベールの銅像が同じような被害を受けました。

奴隷貿易あるいは植民地政策を率先してその利益を受けたことは語られず、

国の貢献者、英雄として銅像となり、

あるいその名前が通りや広場の名前になっている….こうした場所や銅像は、パリだけでも150以上あると言われています 。

 

人種差別反対団体や一部の若者の間では

« Déboulonnage »の行動を呼びかける声がSNSで大きくなる中、

「・・・では、銅像を取り壊すべきか。

銅像を取り除いてしまっては歴史を忘れ去ることになる。

そうではなく、歴史の醜悪な側面に脚光をあてた、

もう一つの記念碑や銅像あるいは博物館を建立する必要がある」。

 

そういう見解を述べる政治家や歴史家に多くの人々が同意を示しています。

実際、こうした考えに基づく措置は、

この国ではすでに多くの場所でなされてきています。

 

2001年、フランスでは奴隷貿易を人道に反する罪と正式に認めた法令が制定され、

それをきっかけにこの貿易の主要な港であったボルドー、ナント

そして私が住むここラロシェルの3都市では、

奴隷貿易がどのように繰り広げられ、

利益を得て町がどのように経済的に潤っていったかを

市民に説明する努力がなされました。

奴隷貿易歴史博物館ができ、

ラロシェルでも観光客で賑わう港の通りにプレートが設置されました。(写真1)

 

ナチスホロコーストに関しても同様です。

4年前、私は教師として、

同僚や生徒とともにあるプレートの建立運動に参加する機会を得ました。

戦時中ラロシェルでもユダヤ人たちがある小学校に監禁され、

ラロシェルの駅からパリのドランシー収容所をへてアウシュビッツへと送還されていきました。

私たちはその小学校の今の校長先生と市長に働き掛けて、

この歴史事実を記したプレートを小学校の入り口に取り付けることができました。

(写真 2)

その取付式のレセプションで、

当時ここに監禁されその後ウシュビッツから生還した女性が招待され、

小学生たちの前であいさつをしました。

 

「・・・どうしても最後に、未来のあるあなたたちに言わなければいけないことは、

私たちを監禁したのはドイツ人兵士じゃありません。

皆さんのおじいさん、ひいおじいさんのようなフランス人たちでした。」

 

彼女のこの言葉に、

「子供にあんなことをいって、可哀そう」

「子供には罪はないし、これからフランス人であることに負い目を持つようなことは言うべきじゃない」

といった声は全く上がりませんでした。

 

そして校長は

「教育者として、今日の日は本当に光栄な日です。

このプレートのおかげで、歴史の記憶が次の世代に継承されていく。

その場所として、公立小学校という公共の場ほど、ふさわしい場所はないでしょう。」と晴れやかに語っていたのを覚えています。

 

数年前のこのレセプションの日のことを今思い出しながら、

わたしの思いはこの夏帰国できなかった日本へと向かいます。

「日本の記憶は子供たちにどのように継承されているんだろう」と。

 

この原稿を書くきかっけとなったのは、

数日前にインターネットで見た、

3年前のNHKスペシャル731部隊の真実 エリート医学者と人体実験」でした。

取材班の調べでは、主に京大そして東大の医学部が、

当時積極的に研究者を731部隊に送り、

軍と結びつくことで多額の研究費を得ていたことが明らかになったとありました。

それは今の額にして2億5千万円にも上るとのこと。

ずっしりと胸にこたえた番組でしたが、

ふと今の巷の« Déboulonnage » をめぐる論争を思い、

次のようなことを思わずにはいられませんでした。

 

「・・・京大医学部の入り口に、この記憶を継承するプレートがあったらどうだろう・・・それに、今はフランスの高校生でも知っている日本軍の慰安婦や、朝鮮人強制連行という記憶の継承は、どうなっているのだろう・・・。」

 

ヒロシマナガサキの平和記念資料館の存在は素晴らしいものだと思います。

日本へ行くフランス人の多くが、必ずと言ってよいほどここを訪れています。

 

最近、フランスの小さな村で出会った80代の男性が、

私が日本人であると知ると、まじまじと私の顔を見つめ直し、

「私はあなたの国、日本に敬意を払います。

恐ろしい原爆を体験して、立派に国を再建しました。

日本人はすばらしい」と私の手を握りました。

 

日本人であるということで、

こうした言葉や思いを受けた経験はこれまでにも何度かありました。

そして、日本と日本人にいろいろな意味で暖かい思いや敬意、憧れを抱くフランス人がたくさんいることは、

この国で高校の日本語教師を務めている私が日常いつも感じることです。

でも、これからも日本がこのように尊敬に値する国であり続けるには、

ヒロシマナガサキだけではなく、

フランスがその学校教育の理念に掲げる

 

「記憶継承の義務」に基づいて歴史の暗点に挑んでいるように、

日本もまた自国の歴史の暗点にしっかりと向き合う姿勢を国際社会に向けて発信していく必要があるのではないでしょうか。

 

「この子たちの責任じゃない」「暗い過去を教えたら、卑屈になってしまう」

そんな一部の大人の懸念が全く意味のないものだということは、

30年間この国に暮らした私にははっきりと言えます。

教師から、大人から、歴史の記憶をしっかりと伝承された子供たちは、

自分たちに歴史が伝承されたことを誇りに思い、

今度はそれを次の世代に継承していく使命感を自らに養っていく、

そういうサイクルがあること、

そしてその中で他人に共感できる感性が築かれていくことを、

私は信じます。

隠したり、消し去ったりすればするほど、

もしかしたら記憶を伝承されなかった子供たちは

逆にいつか過激な« Déboulonnage » に走ってしまうのかもしれない、

そんなふうにも感じています。

 

「歴史の醜悪な側面に脚光をあてた、

もう一つの記念碑や銅像あるいは博物館を建立する必要がある」。

この夏この思いを深めなければならないのは、フランス人だけではないはずです。

                   2020年 8月17日    Atsuko 🐺

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写真 1

ラロシェルの港の奴隷貿易メモリアルプレート

« 全ての大陸で、未来を構築するのに記憶は不可欠だ。忘却と沈黙からは何も生まれない »

   セネガル人Joseph N’Diaya

セネガルにある奴隷貿易メモリアル« 奴隷の家 »の旧 館長)の著書からの引用文に続き、次のような説明文が記されています。

« 三角貿易とは新世界の植民地に黒人奴隷を供給するためにヨーロッパ、アフリカそしてアメリカの間で行われた貿易である。16世紀にヨーロッパ、アフリカそしてアメリカの間で巨大な規模の奴隷売買が始まった。それから約350年の間、何百万人もの人間が、ヨーロッパの生産物と引き換えにアフリカから強制的に連れ去られ、貨物のように船底に積まれ、新世界の植民地の労働力として運ばれた。彼らの労働は搾取され、生産された食料品はヨーロッパに運ばれた »

     

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写真 2

ラロシェルの小学校の入り口にあるホロコーストメモリアルのプレート

高校生と小学生の言葉が記されています。

« 自由にここを歩き回る君たち、忘れないでくれ ! 1944年1月31日、フランス国家の権限の下で、この地方に住んでいた44人の子供を含む90人のユダヤ人がこの学校に監禁され、ここから収容所に強制送還されていったんだ。生きて帰ってきたのは9人だけだった。 »

2016年 4月28日 ラロシェルの高校生一同

« 1994年、私たちの学校からパリのドランシー強制収容所に送還されていった家族、ナチスホロコースト政策の犠牲者に敬意を表して。»

2016年 4月28日  6年生一同

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何をどう伝えるか の 顛末

新人保育者向け“はじめてのわらべうた”という事で、研修を担当しました。

今回は、コロナの影響で地区センターは人数制限があり、当日は23名の参加でした。

 

いつもは皆で歌い動いて実際に遊びながら行うと、

最初は緊張していても徐々に雰囲気が和むことが多いのですが、

 

一緒に歌う事、遊ぶことが出来ない状態でどのように進めていったらよいかな

といろいろ考えて臨みました。

 

もちろん全員マスク、三人掛け机に二人まで、しかも机は部屋いっぱいに分散していました。

 

(やりにくそう。)

 

私もマスクなので、演台に卓上フイルム、イヤホンマイクを用意してくれました。

(マイクはせず)

自分でもフェイスシールドを用意。

(結局、老眼なのでメガネもしてフェイスシールドはほとんど外してマスクでした。)

 

そして、はじまり

 

“なみなみわんわちゃくり”を歌って良い雰囲気を作ろうかなと思い始めると

開け放した窓から 

ピーポーピーポー と救急車の大きな音!

出鼻をくじかれた感じになってしまいました。

 

(後で考えたらハプニングではあったけれど、

その音をきっかけに何か大事な話にもっていけたらよかった。)

 

(心の余裕がなく、まだまだだなぁ)

 

その後、“にほんばしこちょこちょ・こっちのたんぽ・どのこがよいこ”などの

わらべうたを紹介し

わらべうたはコミュニケーションをとることの助けになる。

遊びながら子どもの成長を助けることができることなど伝えました。

 

しかし、大人なので聞いてくれているみたいだけど大丈夫かな?

お仕事の後の研修で眠くなってる?と不安になってきました。

 

みんなマスクをしているので表情が見えにくいのです。

時々、目の合った人がうなずいてくれるとほっとしました。

 

これってもしかしたら今、子どもたちが置かれている状況と同じなのではないかと思ったのです。

保育園の先生がみんなマスクをしている。

そこで、話しの流れでそんな話題も入れてみると、

一人の保育士が子どもも担任の様子を覗き込むようにして

“せんせいおこってるのかな?”みたいに不安そうにしているとのこと。

 

乳幼児のこのコロナ禍の半年はどれだけ心と体に影響しているかと心配になりますね。

 

 

(そうだやりとりしてみよう。)

 

どんな子どもになって欲しいか、何人かに訊いたり

わらべうた遊びをしていますか?を質問しました。

 

すると

「去年、乳児担当でわらべうたを楽しみました。

その時から幼児担当になった時には集団でのわらべうた遊びをしてみたいと思っていたのです。

そして、今年やっと4歳児担当になったので

よし!やるぞーと、はりきって“ほたるこい”をやってみたのだけれど、

円にすらなれなくてぐちゃぐちゃになってしまいましたー。」

とのこと。

 

わらべうたを遊ぶのが初めての幼児なので、

まずは一対一で“お寺の和尚さん”等で遊ぶなどして

わらべうたの雰囲気に慣れることをする。

そして、ルールの簡単なうねり歩きや鬼決めのようなものから遊んでみたらよいのではないか。

 

わらべうた遊びは「楽しかった!またやりたい。」と、思えるような次につながる遊び方をする。

等を伝えてみました。

 

短い時間で

なぜわらべうたをするのか?わらべうたで何を育てたいのか?の話はほんの入り口だけ。

自分で考えていたように研修はできなかったのですが、

保育士さんたちとやり取りをしていくうちに本音を聴くことが出来て最後の方でようやく良い雰囲気になりました。

 

(ところが、なんと時間が無くなってしまいました~‼)

 

コロナ禍の研修、難しかったですが現場の保育士さんたちが何を求めているのか気付かせてもらいました。

 

(余談:各自人形を一体持ってきてもらったのですが、抱き人形を持ってきてくださった方が少なく、ぬいぐるみが多く、キャラクターもあり気になりました。)

 

 ATUKOT

おてぶしてぶし

新卒より2年間の他園での経験を経て、4月からこの保育園に来てくれたM先生。
私と同じ1歳児クラスの担任になりました。


子どもたちの中に自然と溶け込み、

さりげなく遊びを発展させてくれる落ち着いた雰囲気に、
子どもたちも安心してそばにいるようです。

 

今年度入園したKちゃんはM先生の担当の1人。
初めは警戒心が強く、

1人で遊ぶことはあってもなかなか触れ合わせてくれなかったKちゃん。

泣いている時、どんな大人がだっこをしようとしても、みんな断られていました。

 

そんな中、みんなが遊んでいるのをみて《おてぶしてぶし》のうたを覚えたKちゃん。

うたが聞こえるとチェーンリングを棚から出してきて

両手に包み楽しそうに振るようになりました。

 

やはり担当のM先生が歌ってくれるときが一番うれしそう。

M先生もきれいな声で優しく、周りの遊びを邪魔しないように歌うのです。

あまりにも自分のものにしているので、前から知っていたのか聞いてみると、

「このうたは、なんだかすぐ覚えちゃったんです。」

とのこと。

 

わらべうたの園内研修ファイルには載っていないうただったので

“どこから?”と思っていたのですが、

どうやら私が保育の中で歌っていたのを聞いてくれていたよう。

嬉しい半面、“私のうた、音程あってたかしら??”

と急に心配になり楽譜を確認...(笑)

 

そして自分の新人の頃を思い出しました。
私も先輩の歌っているわらべうたが気持ちよさそうで、

自然と口に出ていた頃もあったなあ、と。

 

わらべうたは短いものが多く、

歌詞も口にしやすかったり印象深いものが多いのです。

 

さて、だっこの苦手だったKちゃん。

ほどなくして自分からM先生にだっこを求めるようになりました。

数日後には私にも。

 

わらべうたを信頼している私には、《おてぶしてぶし》のうたが、

M先生とKちゃんの絆を深めたように思えて微笑ましいのです。
                                (sayo‐A)

最近、思うこと

コロナ自粛あたりから時間が出来たので、

以前も話題になったレイチェルカーソンを

もう一度ゆっくり読み返しています。

 

私たちは自然を敬い共存すること。

決して支配したりする事はなく、

お互いの声に耳を傾け生活することの大切さを感じています。

 

カーソンについては

いろいろ考えさせられたり思うことも沢山あるのですが、

では現実的なところで、

何が私はできるのだろうか。

 

勿論、小さな生活を大切にし、

プラスチックなどのゴミ問題、

環境問題は毎日の生活と中でできることもあります。

 

では、仕事では?と考えたときに、

センスオブワンダーという大切な感覚。

毎日の生活の中でいかに自然と仲良くし、

また発見と共に感動し、

子どもたちと話ができるかということなのではないかと考えるのです。

小さな生き物たちが

いつも身近な友だちである生活を大切にすることなのではないかと思うのです。

そういう生活を積み重ねることによって

未来を担う子どもたちが、

この大切な地球を守ってくれるのだなぁと思うのです。

 

保育というのは、

目の前の子供たちの成長を助けることだけではなく、

そのために心を育てないといけないのだと。

これは、一緒に生活しないとつたえられないこと。

 

現場で大切にしなくてはならないことだと思っています。

私か現場を離れられなくて、大切にしている理由です。

                          (ちょろ松)

 

かいだんのぼって・・・

横浜市の保育園で1歳児クラスの担任をしています。

園では様々な新型コロナウィルス対策をしながら保育を継続中。

7月からは本格的に登園を再開する子どもが増えました。


今年の1歳児クラスは半数が新入園児。慣らし保育も再開。

ひとり泣くと別の子が思い出しては泣き...

4月に戻ったかのような賑やかさです。


こんな時に頼りになるのがわらべうた。

泣いてだっこ!のKくんが少し落ち着いた頃に

そっと《ふくすけさん》を始めました。

向かい合って楽しめるようになる頃には、

気づいた他の子どもたちが2、3人横並びに座って順番を待っています。

その中のTくんが“いつものさ、たたいたり、つねったりするやつ、やってよ!”

と仕草でリクエスト。

(持ち上がり担任の私と進級児のTくんはこんな風にツーカーの(?!)仲なのです。)

 

《いっぽんばしこちょこちょ》に移りました。

初めは、“先生と2人だったのになぁ…”という表情で見ていたKくんでしたが、

何度か順番を待つうちに隣のMくんがやってもらっているのに注目。

「階段のぼって…」のところでMくんと一緒に

“くるぞくるぞ~”のワクワクした表情に。

「こちょこちょ~!」では一緒に面白そうに笑ったのです!

自分がやってもらっているかのように共感したのですね。

 

やっと担当の保育士を覚え始めたKくんが、

初めて友達に関心を持った瞬間だったかもしれません。

1対1で行うわらべうたですが、

こうした横のつながりも自然に生まれてくるのですね。

まだ小さいから、と思われがちな子どもたちも、

語りかけ、やって見せていくうちに、大人と2人の楽しい時間を楽しみに順番を待つこ

とができる、ということを知ったのもわらべうたを歌うようになってからでした。

 

こんな風に子どもたちの素敵な表情を引き出してくれる場面に出会うと、やっぱりわら

べうたは魅力的だナと思うのです。
                              (sayo‐A)