先日、はじめての幼児混合クラスに入った時のこと。
子どもたちが園庭に出ている間に担任とおもちゃの出し方や空間を工夫してみました。園庭から部屋に戻ってきた子どもたちは 今までと違った空間にもかかわらず
何事もなかったかのように遊びだしました。
子どものあそびを見守り、多少のことばかけや助けをして1時間半ほどたったころに
あそびが下火になったので声をかけて わらべうたを行いました。
歌いづらさもあるので「マスクをはずさせてね!」と言ってマスクをはずすと
1人の男の子が すかさず「木村さんってそういう顔してたのか~!」と。
思わず吹き出しそうになりましたが「そうなのよ」とすまして歌い始めました。
3月半ばにはマスクをつけるかはずすかが各人の判断に任されるとの
決議がされました。
コロナ不安や花粉症真っ只中という事情からも
マスクをはずせない人も多くいるでしょう。
もちろん、コロナやインフルエンザなどへの予防やお互いへの配慮は
まだまだ必要だと思います。
が、素顔で面と向かい合えるのは正直、嬉しい限りです。
特にこの3年間はマスク越しでのことばかけや
親の仕事がリモートになった影響もあり、
ユーチューブの視聴による言語獲得に問題を感じる子どもが増えていると
常々感じてきました。
「自分のことば」が弱くなることは
思考にもコミュニケーションにも影響があるでしょう。
口元を見せてことばをかけられることの大切さを
あらためて感じています。そして、3年ぶりにほっとした気持ちです。
先日、私が購読している新聞に次のような ことばについて の文言が
載っていました。書かれたのは日本語学者の米川明彦氏。
『…私は以前コミュニケーションのために覚えておきたい「ことばの三箇条」を作成しました。
第一は自分のことばがいつも正しいと思うな。
第二にことばは人のためにあり、ことばのためにあるのではない。
第三にことばは相手を理解し、相手からも理解されるため、通じ合うために使う。
そこには相手に対する敬意と寛容な心が必要です。…』と。
ことばが記号化され、スマホを打てば
次のことばが予測されていくつか出てくるような時代にあって、
マスクをはずして子どもたちとも大人同士でも本音で語り合い、
意見が交わされるようなコミュニケーションツールとしての「ことば」を獲得していきたいと改めて強く思っています。
そのためにも、私たちにとっての母語である日本語の出発点にある「わらべうた」や「おはなし」を子どもに届けていきたいと、心から願っています。