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子どもの育ちにそって大人と子どもが一緒にあそべる「わらべうた」の世界。保育や子育て支援の現場でわらべうたをしてきた「ゆずりはわらべうたインストラクター」の仲間たちが、日々思うこと、活動報告、あそびのアイデアなどを綴ります。

非日常時に改めて思う

コロナウィルスの感染によって今までには経験しなかったような「非日常」が「日常」になっています。


思わぬ時間ができたことで、仕事として発信してきた『ゆずりはだより』をめくっているうちに、2013年に保育士たちと出かけたデンマーク研修のまとめが出てきました。そして、改めてデンマークの人々が持つ「自己決定」「連帯意識」「民主主義」の三つの姿勢について思い起こしました。


一つ目の「自己決定」。保育園、小学校を見学した中で具体的に見てきたことですが、学校での学習はグループ学習が多く、自分で考える、自分の言葉で意見を述べることが基本であること。


二つ目の「連帯意識」は他人との協同、考え方や環境が違う相手の存在を認めるというもの。


三つ目の「民主主義」は多数決ではなく徹底的に話し合ってものごとを決める、というものです。その基本が実現される中で、選挙の高い投票率(2011年の総選挙は87.2%)を保っているというのです。

 

今回の非日常的な生活を過ごしながら、とりあえずは自分の立場から物事を考えるのは当たり前としても、立場の違う人たちの現状や意見を知る中で、立場が違う人の状況を把握することや意見の違いを理解することの難しさ、一つの事柄を多面的にとらえる視点を持つことの大切さを実感しています。自分と違う立場でものを考えるためにはある程度の知識と想像力が不可欠です。感情的に判断するのではなく、知識と知恵が試されることだとつくづく感じます。そのうえで、とことん話し合い、自分の意見を言う、それがあって一人一人の人権が守られるのでしょう。生きるためには知識を用いる知恵がとても大切。学ばなくてはならないのはこの知恵を獲得することだと強く感じています。これは日本の教育の在り方を見直していくときに必要な視点ではないでしょうか。

 

世界中を見れば、様々なことが見えてきます。他人への思いやりと厳しさ、他人との距離、保障の仕方、危機への備え、食料やエネルギーの自給率等々。そして責任についても考えさせられます。


責任は他人を責めるものでなく、自分が問い直されるものです。今回の感染症に関する事柄に関しても、です。日本は地震、大雨をはじめ、自然災害の多い国でもあります。今回の感染症も歴史を見れば初めての事柄ではありません。でも、私の意識の中から感染症に関する問題点は抜け落ちていました。


何かが起きた時に実情を把握するには、まず考えるためのデータが必要です。データ、議事録などがなかなか開示されない日本、開示されてものり弁のように真っ黒に塗りつぶされている画面を私たちはしばしば目にしています。おまけにあるはずのない議事録の改ざん、書き換えがされていた事実を知っているのが今の日本です。


「自分/今」ということから「他人との協同/数の多さではなく本来の民主主義」を築いていくために、自分で考えることから始め、過去や他人に学んでいかれる機会にしたいと切に願っています。

 

私たちはどのような環境の下で、どのような人間関係を作っていけば、より良い生き方ができうるのか。一人一人が考えて自分の言葉で意見を言い、他人との連携意識を持ち、民主主義を実現できるのか。日本人の特技?とも言える「忖度」「お任せ」「長いものには巻かれろ」式ではなく、一人一人の責任において、自分たちの代表を選んでいかなくてはならないと、今回のコロナ対策を進めている政府の「身を切らない」「責任をとらない」仕事ぶりを忘れずに見ていきたいと感じています。

 

「9月始まりの学期」も、成り行きでの「開始時期の議論」で終わるのでなく、学びの基本から改めて議論してほしいと心から願っています。そのためには「その方が便利だから」論でなく、「教育とは何なのか、生きていくために何が必要なのか」を一人一人が改めて考えていきたいと思っています。

 

「信頼できる」関係がなければ、よい人間関係も良い社会を作っていくことも不可能なのですから。
                               (2020年5月1日)