お茶をのみに来てください♫

子どもの育ちにそって大人と子どもが一緒にあそべる「わらべうた」の世界。保育や子育て支援の現場でわらべうたをしてきた「ゆずりはわらべうたインストラクター」の仲間たちが、日々思うこと、活動報告、あそびのアイデアなどを綴ります。

事柄はつながっている

6月20日東京新聞に哲学者の内山節氏が「五輪の廃止、議論のとき」というタイトルで文章を載せられていた。

その中で、1964年の東京オリンピックの陰で強制的に家を撤去され立ち退かされた人たちがいた思い出を書かれていた。

また現代オリンピックの提案者、フランスのクーベルタン男爵がスポーツに関心を持ったきっかけは、そもそも普仏戦争で敗れたフランスがドイツに勝つために、身体能力と知性に優れたエリートの養成を目指すためだったことなどを記事から知った。

 

単なるスポーツの祭典ではないのである。

 

選手たちには申し訳ないが、特に今回のオリンピックは純粋なスポーツ競技からは程遠く、政治と経済、それもごく一部の権力をにぎった者たちの為に「強引」に開催されようとしている。

どんなにコロナで職を失い、経済破綻を起こし、住むところを失って困っている人たちが増えようと、世論や専門家が何を言おうとお構いなしでまっしぐら! 

その先に目指すのは「選挙」である。オリンピックが始まれば、日本人はそれに夢中になって反対の声など消えていくはずだといった政治家までいた。

 

こんなに馬鹿にされて黙っているのが日本人である、という「評価」が世界中に発信されると思うとぞっとする。

私たちの意思表示できる場所は唯一選挙である。これからも政府の動向を見ていきたい。

 

この記事を読みながら、むかし運動会について調べたことを思い出した。なぜ始まったか、それは富国強兵の目的だった。

 

なぜ各競技の世界選手権では不十分でオリンピックでなければいけないのか? なぜ、子どもの健康のために行う毎日の体操やスポーツだけではなく、ビデオ片手の親が興奮し、子どもは炎天下で競技をさせられる運動会でなくてはいけないのか? 

 

目的を忘れてはしゃぐ行事―世界規模のものも、地域の行事も、保育園、幼稚園、学校での行事も、家庭の行事も今一度見直すべきものが周りに多く転がっているように思えてならない。

 

 

昨年他界した母が数年前から「最近は戦争前の雰囲気とよく似ている」と言っていた。政治や世の中の動きに決して積極的ではなく、むしろ疎かった母が、である。

 

何が起ころうと、どんな悪いことが表に出ようが「ごまかす」政治家が大手を振り、そこに今まで日常的には使われなかった「忖度」ということばと内容が蔓延するようになり、他人の意見や「真っ当」な価値観や人権が踏みにじられるようになってきている。

 

 

話は変わるが、毎土曜日の12時からBSーTBSで「関口宏近現代史」という番組が放映されている。

友人から聞いてこの春過ぎから見始めたのだが、第2次世界大戦に突入する前後の日本の政治家や軍部がどのようにふるまってきたのか初めて知ることが多い。学校ではほとんど触れられずに終了する歴史の部分である。

この内容が、今の政府や様々な大きな組織の動きに重なって見えてくる。確かに母が言っていた戦前の動きによく似ている。(時間のある方はぜひご覧になることをお勧めする)

 

何を言っても無駄!という諦めのムードと疲れ倒れに至らないように、オリンピックに浮かれることなく、コロナの推移や政府の対応に関心を持ち続けていかねばと、心を新たにさせられている。

毎日のニュースにはため息が出ることが多いが、これからの社会を作りになっていく子どもたちを育てている役割は大きい。

 

 一人では意識し担いきれないことも、お互いのつながりの中で子どもたちに「自分も他人も大切にする生き方」を伝えていかれればと願ってやまない。