お茶をのみに来てください♫

子どもの育ちにそって大人と子どもが一緒にあそべる「わらべうた」の世界。保育や子育て支援の現場でわらべうたをしてきた「ゆずりはわらべうたインストラクター」の仲間たちが、日々思うこと、活動報告、あそびのアイデアなどを綴ります。

言葉と気持ちを交し合う

近所の家に自治会の会費を受け取りに行った時のこと。

私とその家の母親が話しているところへ3年生くらいの男の子がその場にやってきて母親に自分の今あった出来事を訴えてきた。

私が男の子に向かって「こんにちは!」と言っても  男の子「・・・」

        「おはようだったかな?」   男の子「・・・」

母親が       「何ていうの?」       男の子「わかんない」

そのうちに男の子はサッと奥に行ってしまった。

 

 私が小さかった時のことを思い出す。

買い物に母と出かけた帰りに知り合いのおばさんに会うと母同士のおしゃべりが始まる。

話は長くなることが多かったが私は黙って終わるのを待っていた。

また、電話がかかってくると少しよそゆきになる母の声と受け答えを自然と耳にしていた。

 

 スマートフォンが普及し便利な世の中になってはきたが、特にメールで用事を済ませることが多い世の中になってしまったので、子どもに良いモデルを示す機会も失われてきているのだろうか。

子どもは大人同士で大事な話をしているときには少しの間黙って待っているとか、挨拶にどう返事をするのかなど、社会に出ていく時に必要なことを教えてもらう場面がとても少なくなってきているのではないかと感じる。

大げさに言うと、人間社会で生き抜いていくためには言葉を交わし合うことが絶対に必要なのだろうと思う。

小学生にも全員にタブレットが持たされる時代になってしまった。

これから人間社会はどうなっていくのだろう。

賢く機器と付き合っていかないと取り返しがつかなくなってしまうのではないかと心配になる。

 

 昔、小さい子へは一緒に住んでいたおばあちゃんや近所の人が可愛いから思わず声をかけて遊んだ。

一対一で繰り返しあやす光景はよく見られたし、名前を呼ばれたら返事をするのも遊び。「どっちにする?」と、問いかけられて答えると褒められるのも楽しい遊び。

わらべうた遊びの中にも沢山ある。

 

 幼児から学童のわらべうたの中には集団で鬼になった子と問答する遊びがいくつかある。

訊かれたら考えてすぐに返事をするという遊びは特に今の子どもたちに良い遊びだと改めて思う。

言葉を交し合う相手との関わりの中で、人との距離感を感じ、想像力をはたらかせて相手の気持ちになってみること等、遊びながら身につけられることも多い。

様々な機器に囲まれている今こそわらべうた遊びを伝え遊び続ける大切さを感じる。

 

Athuko T

 

 

子どももあそびもともに育つもの


 
8:36 (3 時間前)
 


このところ、尾原先生のわらべうた全集を調べる事が増え、
わらべうたとあそびうたが違うと言われて納得してみたり、創作わらべうたとはどういうものをさすのか、
何が違って何が本当なのか考えさせられる事が多く出てきました。
それなりの長い歴史の中で、今一度振り返って考えてみる時期に入ってきているのではないかと
考えています。
 
 
そこで整理。
 
私は保育士として目の前の子どもたちが生き生き伸び伸びと育つ助けがしたいこと。
育つ助けとは、「やってあげる」ことではないこと。
目の前の子どもたちが自分で考え自分で動き自分のことが好きな人になること。
 
これは、たのしい事ばかりではなくて、人は「不便に思った時にこそ成長すること」が大前提。
困った時に一緒にそばにいてあげられること。でもそれは手を出すことではないこと。
 
そんなことを考えるようになりました。
 
あそびは、それを助けるための手段でもあり、
わらべうたはそれを実現するあそびとしては最高に面白いと思うこと。
 
研修などでお伝えしても、わらべうたがなかなか実践されても続かなかったり、
同じわらべうたでも、次々と新しいものにとびつくようなわらべうたがされやすいのは、
あそびを知ってもそこから「子ども集団と一緒に育てること」に意識がないことが原因なのではないかなと
思うようになりました。
 
例えば、「おてぶしてぶし」の銭回しのあそびは、鬼が真ん中で周りの皆が回している「宝物」を、
歌の最後にどこにあるかを当てるあそびですが、
その時の集団によって回しかたが違ったり工夫したり、鬼が知恵を絞ったりする場面が沢山あります。
そして繰り返し遊ぶ中で磨かれていく知恵比べのあそびです。
 
その方法はその集団のその時にしか体験できない瞬間ですし、
その工夫は大袈裟に言えば切磋琢磨する中で生まれるものです。
だから、何回繰り返しても毎回違って毎回ドキドキワクワクしてあそびが続いていくのです。
もう少し詳しくいうと、ずるい知恵と面白がるユーモアのある知恵をあそびの中で知って使い分けていくことなども含まれるのではないかと思っています。真面目なことばかりがいいことではないと思うのです。
心を健全に保つためにも。
 
そこが、私の思う「あそべばいいだけのわらべうたではない」と思うこと。
 
わらべうたを知って、あそびをあそんでみて、
自分の中にも目の前の子どもたちの中にも「ともに育つもの」を求めてわらべうたをすると、
本来のわらべうたの姿に近づけるのではないかなと思いました。
 
ということは、子どもだけを育てるものではなくて、自分もともに学び育っていくものだということではないかと思います。
 
「教える」のではなくて「伝える」という事や、
「知っている」と「たのしい」の意味などいまいちど振り返って考えてみることも大切なことなのではないかと思いました。
 
ちょろ松
 
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私のもどるところは?

先日、久しぶりに「お茶をのみにきてください(はてなブログ)」の作業をしていて、

この5月で丸4年経つことに気づきました。

そう、コロナが流行り出して、仕事も含め、外出に歯止めがかかり始めた頃です。

偶然にも教育研究所ゆずりは企画の勉強会を終わりにした時期と重なったのを覚えています。

 

そんな中で、お互いに発信し合い、刺激し続ける場を作りたいと考えたのが、

わらべうたインストラクターを中心に始めたこのブログでした。

記事を書くことも減り、投稿する仲間も少数になってきたのは残念ですが、

今まで続いてきたのは感謝です。そして、改めて続けていきたいと願っています。

 

 

私自身は、今までもう少し知りたいと思いながらも手付かずだったことを学んでみたい

と思い、講義を聞く機会を作ったり、本を読んだりしています。

 

そんな中で、人間の歴史がいかに戦いー戦争の記録に溢れているかを実感させられています。

現在もウクライナ、パレスチナ、ミャンマー等々。

毎日のニュースに出ない争いも数えきれないほど続いているようです。

 

 

そのような社会情勢の中で、不戦を誓った日本国憲法が議論なしに揺らいできているこ

とに不安を覚えています。

 

今年の5月3日は日本国憲法が施行されてから77年。

改めて「憲法は為政者が守るべきもの」であり「主役は国民であること」「政治家は公

正な選挙をもって選ばれること」を意識せねば!と思わされています。

公正な選挙とはほど遠い長年の裏金問題!

なかなか私も意識が届かない 今、自分が生きている社会の問題に関心を持ち、

敏感でなくてはいけないと思わされています。

 

毎年のようにこの時期になると、小学校で憲法について担任が授業で言ったことばに疑

問を持ったことを思い出します。

それは「民主主義とは多数決だ」とのことばです。

正しくなくとも多数ならそれが正義になるのか? 

そんな疑問を持った授業が忘れられません。

そしてまさに現在、その危険を感ぜざるを得ないようになってきていると。

 

憲法9条は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」で始まり

「平等と平和(不戦)をまもること」が明記されていることが

改めて新聞でも取り上げられていました。

 

購読新聞の4日朝刊の『再読 あの言葉』欄に 

倉本聰氏の「9条を変えるというけれど、軍隊に行く度胸や勇気ありますか」(2017年9

月23日の朝刊掲載記事)というインタビュー記事が載っていました。

戦争はゲームのようなものではありません。

実際に人を殺し、殺され、レイプされ…という事実。歴史の事実と平和の大切さをどの

ように次世代、次々世代に伝えていくのか。

その大きな役目を私たちは担っているのだと思わされます。

 

「人の命とは何か?」「平等とは何か」を考え続けることの大切さを忘れないでいたい

と願います。

 

 

私たちの場…保育の現場に立ち返ってみれば、どのようなことなのでしょう。

 

「1人ひとりを大切にする」…ことばでいうのは簡単です。が、現場で具体的な行動とし

て考えるとどのようなことになるのでしょうか?

 

自分も大事、あなたも大事。それはどういうことなのか?

子どもの言いなりに全てを受け入れることではありません。

社会に生きるための基本的なマナーやルールを伝え、

自律し自立していくことをサポートするのが大人であり、

毎日子どもと接する保育士の役割です。

自分自身の感覚を使い、知識でなく実践を通して考え、

お互いの調整や思いやりを学ぶ機会を作っていきたいものです。

 

さまざまな能力の違い、意見の違い、感じ方の違いや主張の違いがあることを知ってい

くことが大切なのでしょう。

 

ではその違いをどうするのか?

「ヒト」がもっている「コトバ」で話し合うこと。

相手の状況を感じ、理解(言語化)し、

何をどう具体的に調整するかが大切になるのです。

 

その時にお互いに価値観を共有できるのか、価値観が違う時にはどのように他人と繋が

り、それぞれの価値観を理解し合えうるのか。

理解し合えないような価値観の場合、どのような価値観にもどって話し合えるのか合え

ないのか。

 

子どもたちと過ごす一瞬一瞬に、私たちは常に価値観を問われ、試されているのだと思わされます。

 

わらべうたをするときも同じではないでしょうか?

「楽しいから」という説明だけでは教育者としては物足りません。

楽しいあそびの中で様々な経験をしてほしいのは子どもたちであって、

大人はそのために何を意識し、行わなくてならないのか。

 

わらべうたインストラクターの勉強会も、このブログも5年目を迎えます。

わたしたちがどのような生き方を、価値観を子どもに伝えられるのか? 

大きな課題を常に忘れないように、楽しさや方法論だけを求めるのではなくお互いに深

め合う一年にしたいと願っています。

 

 

少しでも平和で平等な社会が広がることを願いつつ…

 

 

 

現在の社会情勢を知るための本としてぜひお勧めしたい本です。

*「ビッグ・イッシュー」477号…駅近くで販売しているホームレス支援のための雑誌。定価450円の約半分の230円が販売員たちの生活費になる仕組み。様々なトピックスを取り上げるので、普段なかなか触れないような話題も知ることが出来る。定期購読も可。478号は坂本龍一が取り上げられている。

 

*『ガザとは何か  パレスチナを知るための緊急講義』岡 真理(早稲田大学教授)

                            大和書房 ¥1400+税

 

保育園に出向いて一年

ある園へ月に一回訪問し、わらべうた遊びを伝えて一年。

5歳児は4月から10月まで7回。4歳児は隔月で3回。

元々4,5歳児は同じ部屋で20名と少人数の園なので集団の遊びを拡げたいこともあり

 11月からは4,5歳合同で4回わらべうた遊びを行ってきた。

 

そして、1月と2月の2回で今まで行ってきたわらべうた遊びがどのくらいクラスの中

で楽しめているのか、,担任がどのように保育の中に取り入れているのか見せていただ

き、何かアドバイスできることがあれば伝えたいと思い実践してもらった。

 

2月の実践当日は、小学校教諭が来園し就学予定の発達障害のお子さんが遊びの集団に

どのように参加しているのかの様子を担任の説明を聴きながら観察する日になり、

4歳児担任が実践を行うことになった。4歳児担任はわらべうた遊びの経験は一年目と

はいうもののわらべうたが好きで、歌や遊びを知りたいと積極的な保育士。

 

わらべうた遊びの流れは

始めに座って“子どものけんかに・・・指遊び

“くまさんくまさん” ・・・4,5歳で円の役交代

“ちんぷんかんぷん”・・・鬼決め

“お茶を飲みに来てください”・・・役交代

“おもやの餅つき”・・・二重円の役交代

その後に私が引継ぎ、

新曲で“ひとまねこまね”の声あて

最後に“六つになった”の詩を唱え聴いてもらう

 

振り返りとして

①遊びのルールを理解し、声はよく出ていた

②指遊びから始めたけれども4,5歳児は体を動かしたい欲求があると思うので、

まず先に体を動かすものを持ってきた方が良かったのではないか

③二重円の作り方の説明が長く、いつもは二人組を作ってから二重円になるのだが、

今回は4歳児が円を作り、次にその周りに5歳児が円を作って向かい合うというやり方

がわかりにくかった

④一月にやった“おもやのもちつき”が上手にできるようになったので、

そこを私に見せたかったということだったが “くまさんくまさん”と同じ動きの遊びが

二つになっていたのでどちらか一つにして違うものをやった方が飽きずに出来たのでは

ないか

 

ということを話し合う。

 

この実践を分析してみる。

 

担任指導の前半、子どもたちの表情があまり楽しそうに見えず、

歌も動きも出来ていたがやや落ち着かない荒い唄い方になっていた。

私を含め観察者が何人かいたことで保育士は遊びを成立させることに気を遣い緊張した

様子だった。

その緊張した雰囲気が子どもたちに伝わり全体的に歌も動きも硬くなったのではないか

と感じた。

子ども自身も無意識に《見せる》ことに気持ちが行って、心から遊びを楽しむというい

つもの様子が見られなかったように思う。

後半に新曲の声あてを行うと子どもたちの表情が活き活きしてきた。

特に上手く遊べたというわけではないが、鬼役が二人出て行う遊びは初めてでごちゃご

ちゃしながらも自分たちで考え、折り合いをつけて遊びが進められた。

子どもたちは歌も友達の声もよく聴いていて、声を当てるというゲーム性のある遊びだ

ったこともあり「大当たり!」と、笑顔もたくさん見ることができた。

 

声あての遊びを子どもたちが純粋に楽しむ姿を見て、

今回の見せるための遊びになってしまった実践はあまり意味がなかったのではないか

という反省点があげられる。

 

保育者は子どもが気づいたことや工夫していることを見落とさずに

褒めることや、時にはまなざしで「見てたよ!」の合図を送り、

歌声をよく聴いて楽しい雰囲気を作っていくことが必要だと思う。

また、何か上手く遊べない時こそ子どもたちと一緒に「どうしようか?」と、

考えていくというその過程が《仲間と一緒にわらべうた遊びをする》という意味がある

のだと思う。

クラスの子どもたちの仲間関係や一人ひとりの発達段階をよく観察していくことで

今どんな遊びを選ぶと良いかにも繋がっていくのではないかと感じている。

子ども達が「もう一回!」「また遊びたい!」と、思えることが大事で、

仲間関係も体の発達も繰り返し何度も遊んでいるうちに自然に育まれていくのが

わらべうた遊びの良さだと思う。

 

 

今年度も同じ保育園での指導がある。

私の役割はわらべうた遊びの様々な場面を通して伸びていく身体の発達や社会性の育ち

などを保育に関わる方に伝えながら、一緒に子どもたちの成長を喜び支えていくことで

はないかと思っている。

 

athukoT

 

あそびって? 

このところ毎朝 4歳児のSちゃんが母子分離できず大泣き。

「おかあさん、もっとかまってよ」と言いたいのだろうが、  

言葉でまだうまく伝える事が出来ないのか・・・泣く泣く泣く。

これが今の朝の儀式。

しばらくそっとしておくと、あとは元気に楽しく過ごす事が出来ている。

まるで別人のようだ。

 

月齢は高く、案外記憶力も良いし、頭は良さそうだなと思うのに、

他人の使っているピンク色の椅子を「かして」と言って、

相手が嫌がっても ものすごくこわ〜い顔で睨んで容赦なく奪っていく。

貸さないとなるとへそを曲げて部屋の隅で怖い顔で睨み続ける。

説明しても気持ちをコントロールできない様子だ。でも、ここでは大泣きはしない。

悲しいわけではないのだろう。

 

どうもお母さんがストレスを溜めるとそれを敏感に察知してこうなるように感じていた。

 

朝の泣きは母親と離れることへの悲しみ。素直な悲しみ。かまって欲しいのにかまって

もらえないことへの悲しみ。そのように感じていた。

 

そんな悲しみと怒りの姿にみかねて「一緒に遊んであげるといいですよ」と

お伝えしたら、その後「うちの子、トランプの7並べが出来るんです。」と

嬉しそうに話してきた。トランプで遊ぶことにしたというのだ。

「で、負けた時に我慢できるんですか?」と聞くと

「それが、毎回大泣きするので負けてあげて、勝たせるようにしてるんです。」という。

これは一緒に遊ぶことなんかじゃない。

いかにも遊んでいる感満載だけど、ルールが守れないならそのあそびで遊んではいけな

い。泣くならまだ無理ということ。

 

わらべうたでもそう。

同じようなことが起こる。

「鬼になりたい」「まだやってない」又は「鬼が嫌で転んだふりをしたりしてごまか

す」ことでで表現するような子どもは、まだそのあそびの年齢に達していないのだと思

う。なぜなら、社会性の自己コントロールがまだ育っていないのだから。

 

思い通りにならない事を我慢しながら一緒に遊びたい(他人と共有したい)という

次へのエネルギーに変えて楽しめるくらいに心が育ってはじめて仲間に入れてもらえる

ようになるのが 本来の仲間と共有するあそびだと思うから。

そういうものが子どもの発達段階(社会性の発達段階)なのに、見えないものにはこと

さら弱いお母さんは「社会性って?」「みんなと遊ぶために訓練しなくては!」と思っ

たらしい。

それには、遊び方が理解できればいいのだと思ったようだった。

やってみて困ったのが大泣き。それを回避するために負けて気分良くして終わらせていたのだ。

 

たのしくあそべれば社会性は育つ?

いえ、ちょっとの悔しさと我慢をしながら、面白がる心を育てることが大切だと思っている。

 

保護者への丁寧な伝え方の工夫が必要になっているのか!?

 「みそっかす」「おみそ」「おまけ」としての条件を受け入れることで仲間に入れて

練習させていた“昔の“子どもたちに学びたい。

 

縦の集団であれば、「おみそ」も成立するものが、

現代では横の集団で成立もなかなか難しいのが現状。

入れてあげることであそびが本来のあそびでなくなる場合も多い。

側にいる大人がそんなことも理解しながらあそびをできるだけ本来のあそびとして維持

していくことも現場では必要だと思う。

 

そのためには「ちょっとの悔しさ」くらいの遊びの積み重ねが大切なのであって、

訓練や鍛錬するものではない。

だから、このあそびはまだその子にとって与えるには早いと大人が判断して、もう少し

小さな我慢ができるくらいの遊びを提供できないといけないのだなぁと思う。

 

このお母さんにそれが伝わるかどうかわからないけれど、丁寧に伝え続けたい。

こういう発達段階にあるならじゃんけんのような偶然の結果を受け入れ、

その面白さが分かっていくこと。

じゃんけんすら負けて怒るようなら、さらにその前に「おにきめ」のようなあそびを沢

山したほうがいいのではないかな?と思った事件でもあった。

 

ちょろ松

てるちゃん

先日親子のわらべうたグループでのこと。

 

発達障害を持つてるちゃんは、部屋に入るといつも身体でお部屋の大きさを測ります。端から端までぐるりと走って縦と横の長さも調べています。

 

でも、みんなと手を繋いでなんだか歌を歌うのは心地よくて大好き。

そんなてるちゃんと一緒にあそびたくてこの日は「いっびきちゅう」をしてみました。

 

するとちょうど向かい側になっていた大人の顔にロックオン。

輪を作り小さくなったり大きくなったりを繰り返す間、目をそらすことなくずっと見つめている姿に、周りの大人も気がついてクスクス。

 

「今日のてるちゃんは面白かったねぇ。ロックオンして穴が空くほど見て一度も目をそらさなかったね。」と皆が笑いながら話しています。

 

これ、面白い現象というだけで終わり?

 

私はこの時「あ、てるちゃんは前の人の顔が近づいたり離れたりする事に気がついたんだ!」と感動したのでした。

 

この時感じたのは、子どもの姿は、どの人が見ても同じではないのだ。どう理解するかは側にいる大人の受け止め方一つで変わるのだなぁと思ったのです。

子どもの姿を見るだけではなく、その子どもが何を感じ何を考えたか想像し共有できる大人でありたいなぁと思った一場面でした。

 

  ちょろ松

本の楽譜だけでなく、別の項目もぜひ読んでください

1  わらべうたは魔法?  その2

 

0歳児クラスで這い這いすると膝下が浮いてしまうAくん。

担当の大人がいろいろなあそびに誘っても「ふつう」の這い這いにならない!と相談を受けました。

 

「わらべうたと子どもの育ち」(エイデル研究所)で紹介した ■這うのが苦手、蹴る力が弱い子どもには(P25)のわらべうたのあそび方を子どもと一緒にやってもらいました。

子どもの膝が開かないように大人の腕で子どもの膝の開きを調節すること、けれども押し付けないように力の加減をしてもらいました。

あまり蹴りは強くなかったようですが、Aくんは嫌がらずに、むしろ楽しんでいました。

 

あそびが終わって担当の保育士の膝から降りたAくん。

何と足指まで使ってしっかりと這って移動し、目に入ったあそび道具まで移動していきました。

 

担当している保育士は喜ぶやらびっくりするやら…  魔法みたい! と。

 

同じような子どもの這い方に気づいたら、ぜひ一緒に遊んでみてください。

わらべうたは魔法ではなく子どもに寄り添う方法です。

 

 

 

2 寝かせる時には…

 

子守唄を歌ってトントン… いつもなかなか寝ないんですよね!と。

これもP72からはじまる Q&A に書いたこと。特に⑤⑥を参考にしてください。

一番覚えやすい?P265の ♪ころころころころ♪  の2分の2拍子を意識してゆったりと子どもの胸~お腹を上から下へ軽くなでながら歌っもらうように助言しました。

すると…担当の保育士が「もう寝ました」と。

これも魔法でなく、子どもの安心感をほんの少し助ける方法なのです。

 

 

 

3「あそばせうた」の編曲⁉

 

何か所かの保育園で、わらべうたを歌いながら子どもと遊ぶ様子を見せてもらう機会があります。

特に0歳、1歳児の乳児クラスではたくさん歌って遊ぶ様子が見られます。

大人も子どもも楽しそうなのですが、本から覚えたというのに 編曲?と思うほど違って覚えていることに気づかされることがあります。

新しく就職した保育士は先輩の歌を聞いて覚えていくので、確かめる機会をほとんどもたないようで、園内中で違った曲が歌われることになります。

 

 

ある園での観察時のこと。

あまりにも違っている箇所が多いので、後でおこなった勉強会で本を見ながら一緒に確認してみました。

 

 

ここで大きく反省させられたことが…

それは「本に書いたことを見ていない、読んでいない現実」を知ったことでした。

 

楽譜の初めに「レ」とあるのは… と移動度の意味を簡単に説明してから すでに知っているいくつかのわらべうたをソルミゼーションで歌ってみました。

そのあとに初めての簡単なわらべうたを一緒に歌ってみると「え? 楽器がなくても歌えました!」そして「ああ、そういう意味だったんですね」と。

 

書いてあるから、読んでくれているだろう。質問されないからわかってもらえているだろう。と思うのはこちらの事情なのだな!とつくづく反省した次第です。

 

どこに何が書いてあるか を大まかにクラスリーダーに伝え、「ぜひ楽譜以外の所にも一度は目を通してね」と伝えて帰宅しました。

 

わらべうたを子どもと楽しむ時に、楽譜以外の部分もぜひ参考にしてくださいね!