お茶をのみに来てください♫

子どもの育ちにそって大人と子どもが一緒にあそべる「わらべうた」の世界。保育や子育て支援の現場でわらべうたをしてきた「ゆずりはわらべうたインストラクター」の仲間たちが、日々思うこと、活動報告、あそびのアイデアなどを綴ります。

何をどう伝えるか

 

家に居て、今まで忙しいと言っては取組めていなかったことに少し着手しました。

 

わらべうたの良さを伝えることについては実践が出来ていないこともあり、

なかなかエンジンがかからなかったのですが

ようやく7月くらいから少しずつ計画が予定通りに行われるようになるようで、

前向きに考えなくてはならないと思っているところです。

 

 

一つは新人保育士向けのわらべうた勉強会(単発ですが年一回4年目)

今回は

○講演会形式

○皆で歌うという行為は無し

という条件になっていて、どんな感じにしたらよいかと考え中です。

 

対象の保育士さんたちは何を求めているのか・・・

私は歌ってもよいという事なのでうたや詩・言葉遊びを紹介しながら話をしていきたいと思っています。

 

そして、話の内容を上手く伝えるのが不得手な私は

 

 “なぜわらべうた遊びをするのか”

“わらべうたで遊ぶことで何を育てたいのか”

“どんな子ども(人)になって欲しいのか”

 

を、今一度、自分の中でよくかみしめ、

今まで経験してきたことの具体的な例を取り上げながら、

自然に出てくる自分の言葉として伝えられたらと考えています。

 

うまく伝わるかどうか・・・どうなりますか。

また報告します。

 

                         (atukoT)

 

私の勤務する保育園では、

私の勤務する保育園(神奈川県)では、

玄関の受け渡し継続と、あとはスタッフのマスク必携。

 

でも、子どもたちはしていません。

熱中症の心配もあるし、表情での気持ちなどのくみ取りも大切なので。

 

わらべうたは「三密」とはいえ、それは現場に適用できません。

さすがにものを共有したり、顔を近づけたりと、

明らかな濃密接触は当然避けていますが、

あとは普通に生活しています。

 

当然、マスク使用とはいえ、歌を聞かせたりわらべうたであそぶこともしています。

 

でも、意識的には

「聞かせる」「耳を育てる」ことを優先するよう、心掛けています。

あとは、唄いながら仕草を真似るあそびなど、それなりに出来そうなものを選択しています。

 

音楽はじめ芸術的生活は心の育ちに無くしてはいけないものだと思っています。

 

散歩も大切にしています。

自然の移り変わりは五感を刺激し、その中で歌を口ずさむことは素敵なことだと思い、

外で歌ったりしています。というか、勝手にこどもたちが歌い出してしまうのです。笑

 

息をフッと吐くことは、身体を緩めリラックスできますもんね。

唄うことは大切だと思っています。

 

こんな、うちの保育園の現状況をお伝えしました💗

                           (ちょろ松)

わらべうた をしに保育園に行きました

今月、半年ぶりにわらべうたを行うために2園に出向きました。

いずれも1.2歳児クラス。

手洗いと手指の消毒に、透明なマスクで、

普通に1.2歳クラス各30分遊び、

その後、それぞれの保育士とその日のおさらいをしてきました。

 

半年前に会ったとき、0.1歳のクラスにいた子どもたちだったので、

泣かれる覚悟でしたが、

それもなく、用意したプログラムができたのは、

長く通ってきたのと、

日頃、わらべうたを遊んでいてくれたおかげのようでした。

 

わらべうたは、やはり魔法の歌ですね!

 

 

ウイルスが病気にいたるには、三段階のバリアーがあり、

まず、汗や身体の中の粘膜や唾液による免疫、

次に血液中の白血球という自然免疫、

次に、前に侵入したウイルスを覚えていて攻撃する獲得免疫があるとのこと。

 

 

文庫でも、とにかく免疫力アップのために、

食べる、噛む、運動する、寝るを合言葉に頑張ろう!

あとは、こまめに手を洗い、消毒していれば大丈夫!と言い交わしています。

 

もう十分、習慣も身についているから、

度を越して、ストレスが免疫力を下げてしまわないようにと、願っています。

 

 

保育士さんは、仕事がら蜜にならざるを得ないので、

私たちの備えがあれば、大丈夫です!

 

大人相手の講習なら、講師がフェイスシールド(デパートで1000円 ⁉)、

気にする関係者がいたら、人数分の軍手を用意するなどもよいかもしれませんね!

 

学校教育では、ITC化が急務になるこれから、

幼いときのわらべうた体験はますます大切ですから、どうぞお力を発揮してください!

 

                          (ハトさん)

 

何をどう捉えなおしていくのか?

緊急事態宣言が解除されて、

通勤電車も繁華街もにぎわい始めたとのことです。

 

いくつかのニュースの中で

「この3か月の学校の遅れを…」ということばに、

引っ掛かりを感じています。

 

この3か月をただの「遅れ」ととらえるよりも、

滅多にないこの時間から何を学び、

未来につなげていくかの視点が

大切なのではないかと思うからです。

 

今回、

私に全く意識がなかったことに気づかされたのは、

世界的規模のウィルス感染は

今回が初めてではないという事実です。

 

「のど元過ぎれば熱さ忘れる」のことば通り、

完全に他人事だったと気づいた自分の姿から、

「歴史に学ぶことの大切さ」

を改めて実感しています。

 

そんな中、フランスに住んでいる友人が

以前寄せてくれた記事を思い出しました。

 

フランスの中学校(日本での高校)における

歴史教育のレポートで、歴史の教え方が

日本とフランスでは全く違うという内容でした。

 

学年初めにあった、歴史の教師から親への説明では

 

「今年(最終学年)はいよいよ『現代』を学びます。

…教師の目標は

第一次世界大戦から今現在の世界の状況まで』

を生徒たちに認識させるものです。

『今現在』というとき、厳密には、

イラクでの人質事件のことまで、

私たちは取り上げなければならないことになっています。

…(2005年)」

 

と。

 

そして授業は

 

「…まず、授業の前半30分弱は、教師が話をする。

その際、教科書の写真や資料や地図を参照する。

この教科書というのは、日本で言ったら、

まるで図鑑のようなもので、記述文はほとんどない。

もちろん、生徒たちは、質問したり、

あるいは教師から意見を求められたりする。

そして後半20分は話し合いの中で重要であったと思われる点を

教師と生徒が確認し合い、

それを生徒たちはノートに書きとる、

という具合である。

当然、テスト内容も日本とは違う。

ナチズムの授業の後のテスト問題には、

アウシュビッツ収容所の見取り図があり、

「…いかに合理的に囚人たちが選別され、

この惨劇が、なぜ『人類に対する犯罪』と定義されるのか、

その理由を証明せよ」となっている。

考えることができる生徒は「優秀な生徒」という評価だ」

 

と。

 

歴史を学ぶとは、事実をただ暗記することではなく、

「そこから未来につながる価値や課題を学び取り、

 次に活かしていくこと」

なのではないかと思わされます。

 

今、プログラミングや英語などの「ツール」に特化した

早期スキル教育が盛んです。

でも、そのような「ツール」を使いこなすためにも、

その前に目の前の出来事について、自分の頭で考え、

周りの人と対話をしながらアイディアを共有し、

そこから価値や課題を学び取るプロセスが欠かせません。

自分で考えて意見を述べる、他人の意見を聴く、

また考えてお互いに意見を交換しながら内容を詰めていく…

そんな有意義な練習ができるのは、

現在起きている事柄、またこれまでの事実から

学び合うことなのではないでしょうか。

 

私の経験だと、歴史の授業で現在のことを

学んだ記憶はありません。

明治時代に入ったあたりで時間切れ!

現代に起こっていることに繋がる歴史は学ばなかった!

というのが実感です。

だからこそ、今、立ち止まってみたいと思うのです。

 

コロナの混乱に乗じてエゴに走る動きや

議事録を作っていないなど、

明らかに「学び」の姿勢に欠ける事実を見聞きしています。

 

今回の「普段できない時間を経験した3か月」をどう検証し、

一つの学びの実践と成しうるのかが問われています。

それが次へのステップとなることを願って。

 

もう一つ今まで私が意識できなかったこととして、

様々な職種の人々の苦労を報道によって知りました。

そして、ちょうど届いたホームレス支援の雑誌

「The  BIG  ISSUE」を見て、

 “ステイホーム”と毎日耳にしていたことばが

「“家なき人”にとっては残酷な言葉でした。」

とあり、様々な配慮がいかに必要かを実感しています。

 

そして今、私に具体的に課せられた課題は、

直接に口元を見せ、

触覚や表情を通して子どもにことばや人間関係を伝え、

育んできた『わらべうた』。

この『大密』でこそ有効なわらべうたを、

密を避けマスクをつけソーシャルディスタンスをとって、

といわれる時代に、どう伝えていかれるのか、

試行錯誤しなければということです。

 

わらべうたインストラクターが中心のこのブログが、

次のステップを工夫するみなさんの

意見交換の場となることを願っています。

                                 (2020.6.5)

やってみない?(2020年6月)

東京は急に蒸し暑くなってきました!

これからの季節、少し涼しさを感じられて

親子で簡単にできるあそびをご紹介します♪

 

 

 

 カタツムリのあそび【親子で:2~3歳から】

●カタツムリに餌をやってみよう! 食べたものの色のうんちをするよ!

  • にんじん⇒オレンジ色のうんち   ★かぼちゃ⇒黄色のうんち
  • きゅうり⇒緑色のうんち

 

●テーブルに水を含ませた筆で線を書いてみよう。

タツムリは線の上を歩いてくれるかな?

 

●細い紐の上を歩いてくれるかな?

空中綱渡りの名人かどうか試してみよう!


おさかなモビール 【親子で:3歳頃~】

 

材料…お花紙  透明の封筒  セロテープ  シールまたはマジック  糸

 


 ①お花紙を裂きます 

 

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 ②何色か裂いたら、混ぜ、透明の封筒に入れます

 

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 ③セロテープ、またはモールで止めて尾を作ります

 

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 ④糸をセロテープで貼って好きなところに吊るしてみましょう。風の中を泳ぎます
 


ことばのあそびから…動物名のかくれんぼ 【小3頃~】


●ことばの中に動物が入っているものを探してみよう!


 例えば、

うし  さいふ  れいぞうこ  かめら など


●なぜ、「うし」が帽子になったのか?

なぜ「ぞう」が冷蔵庫になったのか?
 

などを考えてお話を作ってみよう!
 

●つくったお話の帽子の絵、冷蔵庫の絵などをかいてみよう!

気づいたごみの量

コロナウィルス緊急事態宣言で家にいながら、いくつかのことに気づきました。

医療関係の方々、ごみ収集を担ってくださっている方々の大変な苦労や商売しておられる方々の経済問題、教育問題、どさくさに紛れての様々な政治の動き…等々。

 

特に医療関係者、ごみ収集をしてくださっている方々には頭が下がるばかりです。

 

このところ、ごみに関して思っていることは、便利なものほどごみの量を増やしているという事実です。今までも気づいてはいたものの、これほど!だとは思いませんでした。

というのも、私の暮らす市では、今年に入ってから不燃ごみとプラスティックごみの分別が始まったのです。今までは不燃ごみとしていたものをプラごみとそれ以外のものを分けるために意識せざるを得なくなったわけです。その結果、なんとほとんどがプラごみでした。

 

今まで比較的、料理をしてきた方だと思うのですが、コロナ休業になって毎日3食ともなると、ついつい冷凍食品やレトルト食品の使用も増えてしまい、そのたびにプラごみの袋が膨らんでいくのです。

 

地球温暖化とごみ問題は大きくかかわっています。

 

ヨーロッパ旅行で何日か同じ場所にいると出会う「〇〇市」…日本でも輪島の朝市などは有名ですが…の楽しさ。人から直接に買い、その場で紙に包んでくれる品を買い物かごに入れて帰るという風景…。 (最近のニュースでは長手のスコップのようなもので品物や金銭の授受をしている映像を目にしますが。)

 

私の小さいときには、すぐそばの商店街で同じような買い方をしていました。例えば、大きさで分かれている卵の山から「何個」と注文したり、そばにあるかごに取り分けたり、また、挽肉を買うときには目の前で肉を挽いてくれたり、コロッケを頼むと目の前で粉、卵、パン粉を付けて揚げてくれる、量り売りの品は「ちょっとおまけね!」などの会話とともに品物を渡されるなど日常的に見かける光景でした。購入する品物になる前の、ある程度の工程や人間関係の楽しさを知る機会でもあったのだ、と今になって思い起こします。

 

町の規模の拡大や働き方の変化によって、便利なものが増え、短時間で食べられるものを買って済ます。便利さは否定できないものの、本当に必要なものかを意識した選びをしていかないと、結局は自分たちの暮らし全体の悪化、私たちが生きている自然への破壊へとつながっていくのではないかと感じさせられています。

 

コロナ対策として「新たな生活様式」が叫ばれるとき、人との距離間やマスク、消毒だけでなく便利さとごみの問題も意識していかないといけないと反省させられています。そして、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんの警告に真剣に耳を傾け、自分の感覚を研ぎ澄ませたいと思います。「新たな生活様式」はマスクをしてお互いの距離を測るような表面的なことだけでなく、子どもたちと一緒に「新しい生活様式」「消費の在り方」を模索したいと思わされているこの頃です。               (oharu)

 

コロナで自粛中

こんにちは!
横浜で地域の保育園や子育てサークルなどでわらべうた遊びを伝えているものです。
ブログというものは初めてですが今、思うことをつづってみました。
 
皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
私は自粛の中、新年度になって頼まれていた保育園でのわらべうたの実践が3か所中止になりました。
一つは5年続けているところなのですが、2か所ははじめての保育園でした。
多分中止になるだろうと思っていたのですが、決定まで間がありましたのであるのかな?やはり中止かな?と、気持ちが中途半端な感じで過ごしていました。
 
自粛要請が解け何とか行うことが出来ても、
 
マスク?
わらべうた遊びは顔を向き合わせ口元を見つめ、
目をあわせ、表情を観ながら気持ちのやり取りをして成立
 
向き合ってしゃべらない?
もちろん歌うのですから声も出す
 
ソーシャルディスタンス?
手をつなぐなど触れ合いながら距離感を感じて遊ぶもの
 
 
大きなマスクをした知らないおばさんが行っても子どもたちは戸惑うというか怖がるかもしれないと思っていました。
やはり、クラスの担任が出来るのが一番ですね。
 
コロナ禍で、これからも再開はなかなか難しいですね。
 
そして、今は緑の美しい季節、家の周りの小さな自然と向き合うこと(草むしりが主です)をしているほか、
家の本棚にある読んでいなかった沢山の本、昔読んだものを再度読む事をしています。
少しは成長したのか、こんないいことが書いてあったのかと再発見の日々です。
 
(asukoT)